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2008年5月26日 コース:原大橋→八阪神社→林道→萩谷村→萩谷総合スポーツセンター→関大前バス停 「川を守るには、山を守らなければならない」ということで、芥川倶楽部有志で芥川流域の原から萩谷までの山の現状を見るとともに、 NPO法人森のプラットホームが手入れされている山で体験をして、自分たちにもできる?!?ことを確認しました。 案内してもらった小柿さんの説明と写真で、行程にしたがって進みます。 |
急傾斜の山道は暗く、言葉少なになります。 でも開けたところから見る景色はグー! | ||
道端で手を広げているようなテンナンショウが1本 |
地味なランが咲いていました。オオバノトンボソウ。 |
炭窯跡。 |
今日の案内人、小柿さんの説明 ○杉・檜は、当初の植林4000本/ha、つまり、30年後1000本/haまで計画的に間引く 、そして、その後10年経ったら材として切り出せる(杉で45年、檜で55年)。昔から、孫のために木を植えるというのを実感する長さ。 ○林地肥培〜戦後、木を早く成長させるために灰を撒いたりしたが、栄養過多で成長しすぎた材は年輪の間が広くて柔らかく、使い物にならなかった。 ○植林は、尾根筋に赤松、斜面に檜、谷筋の近くに杉を植えた。杉は、水が豊富で水はけの良いところを好む。 ○間伐材の一番の消費は、足場丸太だった。昔、月給が5万円だった時代に足場丸太は1本1000円で売れた。 ○枝打ちの時期は、材の用途と費用を勘案して決める。高くまで枝打ちすると費用がかかるので、そのコストを賄えるだけの値段の材にしなければならない。 ○高槻市では、現在は、人工林が52%。高槻は消費地の京都大阪に近く、元々は薪や炭等の生産で十分収入があった地域であり、燃料革命が起こって、その対策として昭和40年代から拡大造林を行った。 ○山中に平地あり、隠し田の跡地 ○炭窯の跡あり。原料木は重いので、炭は必ず現地で焼き、山から出した。一定面積で生産すると、原料の木がなくなるので、転々と移動した。炭焼きは、農閑期の百姓が山の持ち主から仕事を請け負う形で行われ、収入の多くが山の持ち主のものとなったため、ますます格差が拡大することとなった。 ○松枯れが進んでいる。マツタケは、肥沃な森林土壌では出来ない。 | ||
炭窯跡見学 |
間伐の見本。うまく倒れるように切る |
キコリの真似事。切った木はある程度の大きさに。 |
力をいれないと切れないのは、切る方向が悪いから。 |
下から切ったほうがいいとアドバイス。 |
木の皮も剥いでみる。 |
きれいな色のアオダイショウ。独特のにおいを出します。 |
沢でタゴガエル発見。産卵期でオスが集まっています。 |
のどが黒いのが特徴。 |
ある程度明るい状態になっているが、枝打ちできてないため、材としては使えない木。 |
複層林施業箇所。大木の間にまだ10年ぐらいの木が生えている。 |
松枯れが心配されているが、自然生えと思われる松の幼木が林道の法面にたくさん! |
道に沿ってまるで植えてあるように、多くのタケニグサがありました。 |
オニアザミもたくさん。在来のアザミに似ていますが、葉の幅をはじめ全体的に作りが大きく、人間で言えばお相撲さんかプロレスラーのアザミといった感じを受けます。 |
ヨウシュヤマゴボウもたくさん。 |
ランデブーのカメムシが多く見られました。 |
台場クヌギ。薪炭の材料を繰り返し切り出すために、ほぼ同じ高さで切られている。この高さは新しく生えた芽を鹿に食われないため。 |
キリ。昔から美しい花としていろんなところに登場している花ですが、都市に住むわれわれが目にすることは少なくなりました。 初めて見た人から、「藤の花が上を向いている、どうして?」と質問があったとか。 |
ウリカエデ。赤い芽を見ればカエデの仲間と納得できますが、「どこがカエデ?」と思う切れ込みのない葉です。 |
ウワミズザクラ。およそ桜らしくない桜です。 |
スイカズラ。キンギンボクとも言います。いい香り。 |
萩谷の「天の畑」。天水だけで耕作されている畑や果樹園。獣対策のフェンスが張り巡らされていました。 |
葉の部分がたくさん枝別れしていて、葉がほとんどない枝ばかりのような状態です。天狗の巣のようということで、天狗巣病。 |
小さな棚田が休耕田になっており、シオカラトンボが群れ飛んでいました。じっとして写真を撮らせてくれたクロヒカゲ(?)。 |
クサイチゴ。小指の先ほどの小さな赤い実。食べてみると、まだ熟れていないイチゴと同じ味がしました。甘味は少ないけれど新鮮! |
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